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博多祇園山笠

博多祇園山笠

博多祇園山笠とは

聖一国師が仁治二(1241)年、疫病除去のため施餓鬼棚に乗って祈祷水(甘露水)をまいたのが始まりだという。当時は神仏混淆の時代。これが災厄除去の祇園信仰と結びついて山笠神事として発展した。この1241年を起源として、2023年の本年は782回目の開催となる。時代は鎌倉、室町から戦国時代。博多の町は大陸貿易の基地として栄え、それが故に戦国大名、豪族の争奪の場となって焼け野が原と化した。その復興を命じたのが豊臣秀吉で、「太閤町割り」「博多町割り」と呼ばれる。その間、博多山笠も隆盛、衰退を繰り返したに違いない。 山笠は、古くは高さ15メートル前後のものをゆっくりと舁いていたが、「櫛田社鑑」によると、貞享四(1687)年正月、竪町(恵比須流)に嫁いだ土居町 (土居流)の花嫁が、花婿ともども里帰りしたところ、土居町の若者が余興として花婿に桶をかぶせるなどしたため、竪町の若者が怒って押しかけて一触即発に。この場は何とか収まったが、夏のお祭りの際、恨みが残っていた恵比須流が昼飯を食べていた土居流を追い越そうと走り出し、土居流も負けてはならじと走り、これが評判を呼び、「追い山」に発展したという。明治維新後も何度かの危機を乗り越えて現在の博多祇園山笠がある。(博多祇園山笠振興会HPより)※博多祇園山笠の「祇」の文字の正しい表記はネ辺ではないものになりますが、スマートフォンからご覧の場合、システム上自動的に現在の表記に変更される仕様となっています。何卒ご容赦くださいませ